水曜日, 7月 17, 2024

SUNSET LIVE '95

 


’95年 

 春になった。間も無くゴールデンウィークがやってくる。
 おおよそ無職だった私は、暇を見つけてはSUNSETに通っていた。お客さんは、日増しに増えている。
 しょっちゅうやってくる私にオーナーのHさんが、
「Mちゃん、ゴールデンウィークから、バイトに入らない?」
 と、声をかけてくれた。
「いいんですか?私なんかで」
「だって、いっつも来てるじゃん。どの道まもなくバイトの募集かけようと思っていたからこっちも助かる。どう?」
「はい、来ます。来させてください」
 私は、元気よく返事をした。
 冬の間、スタッフのRちゃんを手伝いながらSUNSETの建物の外壁画を描いていて、ちょうど出来上がりつつあるときのことだった。

 スタッフとしてカウンターの中から眺める海は、毎日違う表情で全く飽きることがない。
 寄せては返す波を見ながら働いていると海に感化されてるんだろうか、気持ちが澄んでいくような気持ちになる。
 湿気を帯びた夏草の匂いが辺りを囲んでいる。
 ザワザワする夏の日々が過ぎていき、間も無く8月になろうとしている。
 ランチタイムの賑やかな時間が過ぎたある日、ふと、気になって私はオーナーのHさんに尋ねた。
「今年のSUNSET LIVEは、いつするんですか?」
 Hさんは、
「いやぁ、もう今年はやめとこうかなと思ってさ。大変なんだよね、結構大博打打つ感じじゃん。天気も気になるし、来場者がどれだけかも気になるし、しんどいんだよね」
 と返された。私はびっくりして、
「ダメですよ、あれは続けないと。あんな素晴らしいイベント、続けることに意義があるんです。この先10年も20年も続けたら、すごいことになっていくんですよ」
 私は驚きとともに、なんて答えたらいいんだろう、と考える前に口からそんな言葉が出ていた。
 Hさんはウ〜ンと唸った顔をしている。
 そんな話をしているところで、外人の常連客たちがゾロゾロと店に入ってきた。つい私は、
「聞いてよ、みんな。Hさん、今年はSUNSET LIVEしないとか言うんだよ」
 この頃に来ていた外人客たちは、不思議なくらい日本語をよく喋れていた。
「Mちゃん、今なんて言った? あれはせんといかんやろ」
 オーストラリア人のJ が流暢な博多弁で言った。
「でしょ、絶対しなきゃだよね」
 私は味方ができたのを好都合に、ますますHさんに詰め寄った。
「でも、去年と同じ8月の終わりにするとしてもあと1ヶ月。だけど何にもしてないよ」
 と、弱気な口調でHさんが言う。
「しましょう。私なんでもしますから」
「わ、わかった」
 Hさんは私の勢いにのまれて首をついうんと縦に振ってしまった感じだった。
 私は勢いに乗って、
「ミュージシャンは去年と一緒でいいですね。音響さんにも連絡入れます。それと、チラシやポスター、それから・・・」
 私は、やらなければならないことを書き出し、優先順位を決めていった。そして、
「ポスターの絵、私描きます。どんなのがいいかな」
 私が少し考えていると、
「Mちゃん、この前中洲のバーに大きなラム酒のコルバの絵描いてたじゃん。あれの椰子の木の間に夫婦岩を足すのはどうかな?」
 と、Hさんが言ってきた。
「あ、それいいですね。今夜、家で描いて明日持ってきます」
「明日?」
「はい、私、絵を描くの早いんです。それに急いだ方がいいでしょ?」
 Hさんは参った。と言った様子で頷いた。
 外のデッキでビールを飲んでいた外人たちが、私たちが話している所にぞろぞろやってきた。
 Jが、
「やるっちゃろ?」
 と聞いてきた。
「うん、やるって」
 私は飛び上がりながらそう応えた。Jをはじめ数人の外人客たちは、
「俺たちもチラシ配りやら手伝うばい。なんやったら大きな垂れ幕作って親不孝通りやら天神ば練り歩くたい」
 と言ってくれた。
「ありがとう、やってやって」
 私は外人風に身振り手振りを大きくして喜びを表した。
 店の店長が、
「Mちゃんよろしく頼むよ。店のことは俺たちでどうにかするから、Mちゃんはそっちに専念して頑張ってよ」
 と言ってくれた。
「はい、了解です」
 と、私は威勢よくこたえた。
 私のお腹の中にボンと火が付いた。

 やると決まったその日のうちに、去年出演したカジャ&ジャミン、ハードコアレゲエ、地元のミュージシャンに電話を入れた。どのミュージシャンも出演の依頼を心待ちにしていたようで、二つ返事で承諾を得ることができた。
 カジャ&ジャミンは、関西のバンド。
 ハードコアレゲエは、東京のバンド。
 それ以外の出演者はバンドもダンサーも地元福岡の人たちだ。
 昨年いきなりイベントに参加した時には、どこの誰が、どこの人なのかチンプンカンプンだったが、この頃にはしっかり把握できていた。
 次は音響会社さんだ。九州のコンサートを一手に引き受けている大きな音響会社だから、一ヶ月前で、どう返事が来るかわからない。でも私はとりあえず電話してみた。
 音響会社の社長のTさんも、今年はしないのかと思い倦ねていたようで、明日にでも会社にいらっしゃい、と言ってくれた。
 その日の夜、家に帰ると私は美大時代の画材道具を引っ張り出し、猛烈な勢いで約束した絵を描きあげた。
 翌日、描いた絵を持ってSUNSETへ出勤した。Hさんは、描いてきた絵を見て、
「いい感じやね、俺もやる気が出てきたよ」
 と、言ってくれた。
「私は今日、音響会社のところに行ってきます」
「わかった、俺も一緒に行こう」
 ふたりで音響会社に向かい、今年のSUNSET LIVEについて計画を練った。
 音響会社を出ると、Hさんは、
「俺、あのTさんを目指してるんよ。あんな大人になりたい」
 と、桜坂の木立の上に立つ音響会社の社屋を、眩しそうに仰ぎ見ながら言っていた。

  SUNSETへ戻る帰り道、
「最初の年のSUNSET LIVEは店に来ていたレゲエ好きの常連客たちが、
『ここでライブをしよう!』と言い出し、
ほとんど俺は手を入れる事なくイベントは場所を貸すような感じで進んでいった。
ステージは大型トラックのトレーラー部分を使ったものだった。
その様子を見た音響会社のTさんが、
『あれはステージとは言えない。うちの会社にできる事だったらなんでもやるよ』
 と、言って2回目の去年から参加してくれた」
 そんな事を、Hさんが話してくれた。

 それからの一ヶ月は、去年のSUNSET LIVEで走り回った一日のように、毎日走り回った。
 出来上がった絵をHさんの友人のグラフィックデザイナーのところに持ち込んで、ポスターとチラシを作ってもらう依頼。
 スピード印刷屋さんでライブの入場チケットを作ってもらう。
 ミュージシャンの交通チケットの手配、ギャラの計算。
 出来上がったA4サイズのチラシや大きなポスターには、チケットを売ってくれるお店のロゴが、ずらりと何十件も載っている。
 そのお店一件一件にポスターとチラシ、封筒に入れたチケットを預けにいく。
 チケットを預かってもらう大部分の店が夜をメインに営業している飲食店。
 毎日たくさんのチラシとポスターを車のトランクに乗せて、Hさんと私は二人で手分けしながら天神や西新のお店を訪ねて回る。
 出演するミュージシャンから音響会社へステージ上でのマイクや機材の配置図をファックスしする。
 毎日毎日やってもやっても仕事は盛り沢山だった。
 
 どんどんSUNSET LIVE開催の日が近づいている。
 後一週間でイベント当日という日に、前日と当日に手伝ってくれるスタッフの数を店のカウンターで数えながら、はたと気がついてHさんに尋ねた、
「Hさん、スタッフTシャツは?」
「ありゃ、抜けとったね」
「去年はどうやって作ったんですか?」」
「去年は、友達の店が閉店するっていうんで、その在庫処分のTシャツを格安で分けてもらってプリントしてもらったんよ。でもその店はもう無くなった」
「ありゃま、じゃぁ今年はどうしましょう。もう時間もないし」
 Hさんと昼の営業担当のAちゃんとカウンターで悩んでいると、オーストラリア人のJがやってきた。
「どうしたと?みんな困った顔になっとるよ」
 と、言うので、
「そうだよ、ちょっと困ってる。ライブのTシャツ作るの忘れてたんよ」
 と、私は今、悩んでいることを伝えた。すると、
「最近、姪浜にやってきたカナダ人の夫婦がシルクスクリーンをするよ、聞いてみようか?」
 と言ってくれた。
「お願いしましょうか?時間ないし」
 と、私が言うと、
「J、とりあえず聞いてみて」
 と、Jに向かってHさんが言った。
 ギリギリセーフで、イベント用のTシャツは出来上がった。

 昨年、イベント当日に散々神経をすり減らした「誰が誰?」と言うのが誰でも解るように、首から下げるネームタグをハガキの半分くらいのサイズにダンボールを切って作った。
 色はラスタカラー。
 ミュージシャンは表に「GUEST」裏にバンド名、関係スタッフには「STAFF」と書いてそれぞれの名前を書いた。これで誰が何をする人かがすぐ解る。
 他に抜けていることはないだろうか。私は今までやった事が無いことをしている為に、確認が出来ずに毎日緊張していた。
 その代わり、やると決めた日から作ったノートに、日付をつけて、やるべき事は一つ一つリストアップしていった。
 そして、ちゃんとやり終えたら線を引いて消していった。

 第3回SUNSET LIVE 開催前日。
 去年と同じように朝から大きなトラックが会場づくりのためのテントやステージの足場をどんどん運び込んでいる。
 今年は、去年のステージの位置から場所を一変して、音響会社の社長T さんの提案で店の東側にステージを作ることとなった。ステージの背後はすぐ山、その山に「SUNSET LIVE ’95」の大きな切り抜き文字が浮き立つ。
 照明は山の色や自然の色を引き立たせるためと経費節約のため一色。これも音響会社のTさんのアイディア。
 Tさんはニコニコ笑いながら、大きな会場をどんどん指揮して作り上げていく。
 夕方までに会場が出来上がると、「では、明日」と言って会場を設営していた音響会社の人たちと一緒にTさんも、さくっと帰っていった。
 いよいよ明日だ。「もう、やらない」とHさんが言っていたライブをやるところまで持ってきた。後は、明日の波に乗るだけだ。私も明日のために早々に店を出て家路についた。

 翌朝、お天道様が「さぁ頑張って、いってらっしゃい」と言っているかのように晴れた。私は、朝早く平尾の家を出てSUNSETに向かった。
 今日は私が去年のDさんのように会場の袖で指示を出す役割だ。Dさんが去年使っていたタイムテーブルをそっくりに真似して今年のタイムテーブルも作った。
 ステージの側で私をサポートしてくれるのは、体格のいいサーファーの男の子たち。
 SUNSET までの道のりでイベント会場に着いたら、する事を頭の中で整理しながら車を走らせた。
 SUNSET に着くと、スタッフ全員が集合して挨拶をかわし、それぞれの仕事の役割を確認しあった。
 さぁ、リハーサルだ。出演者の最後の方から始めて、一番最初に出るミュージシャンが最後にする。こうしておくと最初の楽器のセッテイングがそのままでいいからだ、とTさんに習った。
 最初のリハーサルが始まった。リハーサルの予定時間はそれぞれ30分。それを過ぎても全然終わろうとしない。
「どうして?」
 ぽかんとステージを見ていると、ステージで楽器の設置を担当している音響会社のスタッフのお兄ちゃんが、
「ディレクターのMさんが指示出さないと、いつまで経ってもリハやってるよ彼らは」
 と、ぽそっと教えてくれた。
 そうか、そう言うことか。私はすぐさまステージの前に立ち、
「リハ、後五分で終わってください」
 と、大声でリハーサル中のミュージシャンに声をかけた。また一つ覚えた。
 大きな声で、それぞれのミュージシャンに指示を出しながら、リハーサルは無事にすんだ。
 今回のMCは、いつもいろんなシーンで助けてくれたJがやってくれる。オーストラリア人で巧みに博多弁を話すJ は、きっと会場中を盛り上げてくれるはず。
 本番が始まった。最後のバンドまで、去年Dさんがやっていたように、サポートの男の子に指示を出し、ミュージシャンを呼んできてもらいの繰り返しをしていたら、あっという間に最後のバンドになった。
 会場をオープンしてから、最後のバンドが演奏し終わるまでが五分くらいに感じた。私は音楽を楽しむなんて事はてんで出来なかった。それよりも無事に今日の興行が終わった安堵感の方が大きかった。
 今回もSUNSETの前の海岸には波がたち、海にはたくさんのサーファーが海にプカプカ浮かんで波乗りを楽しんでいる。波乗りしながら音楽が楽しめるなんて最高だろうな。大きな夕日がサーファーたちの向こう側に沈んでいった。
 私の気持ちは去年ほど恍惚とはしていない。
 それよりもお客さんたちは楽しんでくれただろうか?そんな事を思いながら、とっぷりと暮れた会場の中でゾロゾロと出口に向かう観客の後ろ姿を眺めた。

 東京にいた頃、弟たちとレゲエの野外ライブに何度か行った。会場は遊園地の中の円形ステージだったり港町の特設会場だったり。有名な外国のミュージシャンたちがやってきて素晴らしい演奏を楽しんだ。あの頃のあれは、それはそれで楽しかった。単なる観客だったわけだし。
 この自然たっぷりの中で行われるSUNSET LIVE はやっぱり素晴らしい。
 なんだろう、開放感?ずっと続けていきたい。そんなことを夕焼けに照らされる海を見ながら思った。

 日が暮れてしまった。去年はこの辺りで私はお暇した。
 今回は最後まで見届けなければなるまい。
 ステージの機材がほとんど片付けられ、電気を引いていたコードが今までひっそりと隠れていた蛇のように地面のあちこちに見える。それを音響会社のTさんが肘を使って上手に巻いていっている。私も真似してコード巻きを手伝った。
 
 人が去っていった会場には、たくさんのビールの缶や食べ物を包んでいたゴミ屑がボロボロ落ちている。
 たくさんのゴミを眺めながら、最後まで残っていたスタッフたちと会場の片隅に集まった。
「このゴミ、悲しいですね」
 つい私は口に出してそう言ってしまった。
「そうなんよね、これどうにかならんかね」
 私の言葉にHさんもそう答えた。
 そして、イベント中のちょっとしたアクシデントや困った観客のことなど、次々にスタッフの口から溢れてくる。
「今日のところは事故もなく終わったんだからよしとしよう。みんなお疲れさん」
 Hさんがそう言うと、みんな興奮していた体から何かが抜けていくかのような顔になり、各々帰り支度を始めた。
 音響会社のTさんも、
「じゃぁ、明日午前中にステージの撤収にうちのスタッフが朝から来るから、お疲れさんね」
 と言って帰っていった。
 そっか今日のところは終わったんだ、と思った。何が何だかわからないまま終わっていった気がした。

帰り道の運転は、行きがけの意気揚々とした気分とは裏腹に、ただぼーっとしていた。
 翌朝、SUNSETは店もスタッフもお休みだった。けれどなんとなく気になって私は車を走らせた。
 SUNSETの駐車場に設置されていた仮設ステージは、すっかりなくなり元の通りの駐車場に戻っていて、そこに一台だけHさんの車が停まっている。
 Hさんは、店の周りのゴミ拾いを一人でしていた。
 私は、Hさんを手伝って一緒にゴミ拾いをした。
 お昼近くまでかかって、SUNSET 近辺のゴミ拾いを終えると、Hさんが、
「Mちゃんも疲れたやろう。もう今日は帰ってゆっくりしい。明日は一日しっかり休んで、明後日からはチケットの回収が待ってるよ」
「そうですね、今日はここら辺で帰ります。お疲れ様でした」
 私は、ライブの次の日の状態を見にいって良かったと思った。あんなに散らかってるなんて。来年への課題だ。

 ライブの二日後からは、ライブのチケットを預かってもらっていた店への回収作業が始まった。たった一件で百枚近く売ってくれるお店。一、二枚しか売れなかったお店、と様々だ。
 どこの店にも同じように頭を下げて回る。来年もよろしくお願いしますと言いながら。

 SUNSET LIVEが終わると辺りの木々や葉っぱを掃除するかのような台風がやってきて、「はいこれで夏は終わりました」と、言うかのように秋がきて、ストンと冬がやってくる。

 私は、来年のライブのために何か印象的な年賀状が作りたいと考えていた。
 缶ジュースや食材の仕入れの時に出る段ボール箱を葉書サイズに切って、そこに年賀状印刷用のおもちゃの印刷機で大きく三段に書いたHAPPY NEW YEARの文字を印刷し、真ん中の段のNEWのEの部分を直径二センチの円に切り取る。その切り抜いた円の中に、店でたくさん廃棄しているビールやジュースの瓶の蓋に椰子の木と夕日をマーカーで描いたものを埋め込む。
 いつもは捨ててしまうもので作った年賀状。
 そんなものを出していいか、Hさんに相談した。
 Hさんは「面白いね、いいよ」と、OKをくれた。
 段ボールを数百個切って、手作業でプリントして、穴を開けて、絵を描いた瓶の蓋を埋め込んでの作業をひたすらやった。こんな年賀状が届いたら、きっともらった人はびっくりするはず。
「リサイクルした段ボールや瓶の蓋はこんなに可愛くなりますよ。来年もよろしくお願いします」
 の気持ちを込めて。

 冬になるとSUNSETの客足はパタっと少なくなる。
 秋から冬は玄界灘に面する糸島半島は大きな波が立つ。
 Hさんは客が少ないのをいい事に、午前中の買い出しが終わるとすぐに波乗りに出かけてしまう。
 残された私とAちゃんは、店内のディスプレイを変えたり、クリスマスのデコレーションを作ったり、仕事なのか遊びなのかわからないような作業をして時間を潰した。

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