水曜日, 7月 17, 2024

SUNSET LIVE '98


’98年  

 季節は巡り、SUNSETで働き出して四度目の春がやってきた。
 最近ではHさんが大好きなサーフィンがどんどん人気のスポーツになっていっている。
 SUNSETのカウンターでは、世界中のサーファーたちが波乗りをしているサーフィンムービーをカウンターに置いた小さなビデオデッキからいつも流している。
 やってきたサーファーも、そうでないお客もみんな釘付けになって見ている。
 その中でもインドネシアのニアス島の過去のサーファーたちを撮ったものが人気で、BGMは迫力のあるジョー山中の声だった。
 SUNSETへやってくる客たちは小さな画面の中の大きな波を見ながら海外での波乗りに憧れていた。

 今年で6回目となるSUNSET LIVE。
 ある日、天神の親不孝通りでレコードショップをしているKさんから連絡が入った。それは、
「ジョー山中の奥さんが福岡の人で、自分と懇意の仲であること。彼女及びジョー山中さん本人もぜひ福岡でライブをしたいと言っている。次のSUNSET LIVEに出演できないか?」
 と、言うものだった。
 私とHさんはびっくりした。いつもSUNSETのカウンターのビデオで見ているジョー山中の声を生で聴ける。それもかなりのビッグネームだ。
 しかし、先方からのギャラの提示が今までのミュージシャンからは考えられない破格だった。
 私がKさんが言ってきた金額をメモしていると、そこにHさんが横から「これでは無理」と書いてきた。
 全く、その通りだ。今まで来てもらっていたミュージシャンの4、5倍の価格だ。ライブの収支が組み立てられない。
 私たちは考えに考えて、今年呼ぼうとしていたミュージシャンに、今年のギャラは今までに比べるとずいぶんと少ないものになるけれど来てもらえるか交渉した。
 どのミュージシャンも、いい気持ちではなかっただろうけど、ジョー山中を呼ぶにあたってとても苦労していることを伝えると、わかってもらえた。
 ジョーさんの連絡先は自宅で、担当は奥さんのAさんだった。私は食い下がりに食い下がってギャラの値段交渉をした。
 先方は、どうしても福岡の地で、ジョーさんが歌いたかったらしく、言ってきたギャラを半分以下にしてもらった。
(今となっては、よくぞこんなことしたもんだと思う・・・)
 Hさんは、サーフィンムービーに再感動し、福岡以外の場所でもツアーをして稼いで欲しいことを伝えつつ、ジョー山中&レゲエバイブレーションズがSUNSET LIVEにやってくることになった。
 これはすごいことになる!私はワクワクしていた。
 しかし、Hさんは何かが引っかかっているように見える。
「Hさん、何かひっかってます?」
 私は尋ねた。Hさんは、
「いやぁ、ジョー山中来るの、めちゃくちゃ嬉しいよ。でもさ、毎回天気に恵まれているからいいけど、万が一雨が降ったり去年は逸れたから良かったけど、イベント当日や前日に台風が来たりしたときのこと思うとちょっと腰が引けるんよね」
「なるほど、そうですよね」
 私はそりゃそうだ、と思いながら、ふっと弟のMtの顔が浮かんだ。
「Hさん、うちの弟が損害保険の会社で働いているので、ちょっと相談してみますね」
 と、言うと、
「そんなのあるのかな?まぁ聞いて見て」
 と、言われた。
 その日の夜に東京にいる弟のMtに電話をして聞いた。Mtは、
「イベント保険なるものはあるよ。保険料はイベントの収益見込みの10%ほどで開催日の二週間前に入金することと、大蔵省の認可がいる。僕は今、東京の本社勤務だから手続きしてもいいよ」
 とのことだった。私は、
「オーナーに聞いてからまた連絡するね」
 と、言って電話を切った。
 翌日、Hさんにイベント保険の話をすると、保険料の掛け金の高さに唸っていた。
 私は、
「万が一機材を台風で飛ばされたり、もしくは悪天候でイベントができなかった時の保証はある。地方の保険の代理店だと東京の大蔵省まで申請に行かなければならないのが、弟のMtに頼めば彼が全部してくれる」
 と、この保険の利点を伝えるとHさんは首を縦に振った。
 これで万が一のことが起きても保証は確保できた。
 ついにSUNSET LIVEにビッグネームがやってくる。

 第6回目のSUNSET LIVEも二日間。
 一日目の出演者はあっという間に決まった。
 昨年の様子を知った地元ミュージシャンが手ぐすね引いて待っていたと言う感じだった。
 SUNSETのBGMで聞いていたリトル・テンポ。M兄が、見つけてきてみんなで、
「このリトル・テンポって言うダブユニットなんかいいよね」
「SUNSET LIVEに来てくれるか聞いてみようか?」
 と、言っているうちに出演が決まった。
 今回の二日目は、ジョー山中&レゲエバイブレイションズ、お馴染みのカジャ&ジャミン、スカフレームスの時に来てくれた大阪のスカバンドのデタミネイションズ、新しく見つけたリトル・テンポ、ココナッツダンサー、地元の大学生のバンド、スカロケッツ、と盛り沢山だ。
 さぁ、去年のような情けない終わり方をしないようにしなければ。
 出演者が多いのと、ここで「SUNSET LIVE」とはなんぞや、と言うことを改めて説明するために今まではA4サイズの一枚ペラモノだったチラシの形を、A4サイズを二つ折りにしたものに変えた。
 そこには、こんな言葉を書き添えた。
「九年前に民家や松林を潜り抜けないとたどり着けない場所で、こっそり始めたSUNSET。
 皆様のおかげで少しずつ私たちも成長してきました。
『こんな海の綺麗なところで心地よい音楽をみんなで楽しめたら』
 と、始まったSUNSET LIVEも今回で6回目となり、たくさんの人を魅了するライブとなりつつあります。
 何もかも簡単に手に入ってしまう、物質的に不自由のない世の中で、生きていくことの本質が問われる時代になってきています。
 都会の生活では、いつの間にかぼやけてしまう生きていく理由。
 複雑に絡まった社会を逃れ、自然のエネルギーに触れることによって、次第に心が解れていき、物事の全てがシンプルに見えてくるはずです。
 いつも変わらぬ姿で迎えてくれる自然に気づき、感謝することが地球で生活する私たちの原点ではないでしょうか。
 大したことことなんて出来ないけれど、例えば『ゴミは持ち帰るぞ』とか、『タバコのポイ捨てはしない』とか、小さなことでもそういう思いやりや、心の余裕を持ってスマートにできる人ってかっこいいですよね。
 そんな人と自然と音楽を存分に楽しめるSUNSET LIVE。今年も皆様を心よりお待ちしています」
 新しいミュージシャンを店のスタッフが発掘したり、チラシにのせる文章をみんなで考えたり。SUNSETのスタッフ全員で作り上げていくイベントにSUNSET LIVEがなっていっている。
 きっと、ますます大きなイベントになっていくんだろう、と私は思った。

 出来上がったチラシを持って、今年も百軒余りの協力店を回る。最近ではどの店もおなじみになってきて、
「まいどです。SUNSETのMです〜」
 と、言いながら協力店に入っていくと、笑いが取れるほどになってきた。
 私は今年も頑張るぞ、と自分に喝を入れながら協力店を回っていった。

 第6回のSUNSET LIVEの日がやってきた。前日に組み立てられたステージ。今年も二日間とも晴れの予報だ。
 タイムテーブルもしっかりと余裕を持って、何かあっても夜10時発の臨時最終バスまでに少し余裕があるように入念に組み立てた。
 会場やゲストミュージシャンの送迎係のスタッフもずいぶん人数を増やした。私の横には例年通り安心できるTsとKtが構えていてくれている。
 ジョー山中御一行の送り迎えなどのアテンドには、音楽に詳しくって気が利くS市君にお願いした。福岡に着いてから、会場入り、ホテルまでずっと付き添ってもらう。
 店とステージの間にある、いつもは倉庫に使っている小屋をゲストの控え室にして、同級生のYにミュージシャンのお世話係をお願いした。
 イベントの告知をどこにすると効果的かや、依頼の文章の書き方を新聞社で働いている父や高校の国語の教師だった母に色々レクチャーしてもらった。
 やってくるミュージシャンの最近の動向やファン層などの情報を、東京のCDショップで働く弟のMrにいろいろ教えてもらった。
 イベント保険は、本社勤務のMtがすんなりと保険を通してくれた。
 自分の周りにいる人たちの力を集めまくった。もうこうなると一家総出でイベントを盛り上げている感じだ。

 よし、やれることは全部やった。あとはそれぞれの担当に任せて二日間突っ走るしかない。
 どうか今年もたくさんの人を喜ばすことができますように。祈るような気持ちで開場の時間が迫ってくるのを待った。
 一日目の出演者は喧しく時間の説明をしたこともあって、昨年より冷や冷やすることはなかった。TsやKtも早め早めに出演者を呼んできてくれる。頼もしいかぎり。
 昼の12時から最終のバスが出発する夜の10時まで、瞬きをする間に時間が過ぎていくかのような一日だった。

 ついに明日はジョー山中がやってくる。
 映画で見たことある人に出会えるなんて、どんな感じなんだろう。
 控え室のYやS市くんに「明日もよろしくお願いします」と、挨拶をして、私を始めスタッフも店を出た。

 何かに守られているかのように次の日も晴れた。まぶしく上がったお日様を見ながら、胸が高鳴る。事故がない限り保険は保険のままで終わる。大きなお守りだ。
 SUNSET LIVEの会場に着くと、昨日と同じようにすでに音響のスタッフさんたちが動き出している。
 今日は今までのライブの中で一番出演者が多い。ステージの袖にTsとKtを呼んで今一度の確認をする。
 他の場所のスタッフとも挨拶をしたりしているうちに、時間は刻々と過ぎていく。
 リハーサルのためにジョー山中のメンバーがやってきた。
 誰よりも一際目立つジョー山中。デカイ。今までやってきた出演者と全然違う。
 何だろう、これがオーラってやつだろうか。
 私は真っ先に駆けつけて、挨拶をした。
「はじめまして、SUNSETのMです。今回の舞監をします。よろしくお願いします」
 と頭を下げた。
 だめだ、完璧に向こうのメンバーに飲み込まれている私がいる。
ジョー山中のメンバーはステージに向かって歩いて行き、彼らのリハーサルが始まった。
 リハーサルの様子を見ていると、ジョーさんの奥さんのAさんが、私がビビっているのを感じたらしく話しかけてくれた。
「おはようございます。ジョーの妻のAです。今日はよろしくお願いします。私の地元でライブができるのをジョーも私もとっても楽しみにしてたんですよ」
 歳の頃も私と同じくらいだろうか。彼女の優しい雰囲気に、私は緊張していた気持ちが少しほぐれた。

 その他の出演グループの立ち位置の確認や、音出しの確認も終わり第6回SUNSET LIVEの二日目は開場した。
 さぁ、緊張との追いかけっこの始まりだ。1時からの最初の出演者までは、ステージ横のDJブースでDJが音楽をかける。今回は東京からCDショップで働く弟のMrもやってきて演奏の合間にDJをしている。
 スカロケッツのライブから始まり、ダブユニットのリトルテンポ、スカのディタミネイションズ、カジャ&ジャミン、時間が過ぎていくのと共に観客の数がどんどん増している。
 空はうっすらとピンク色に色づき出した。一時間後にステージに立つジョー山中のメンバーに挨拶をしようと控え室に入った。

 控え室に入った途端、その中が緊張感で満ち満ちているのを感じた。
 控え室の真ん中で椅子に座ったジョー山中。
 その周りの人達は全てジョーさんを仰ぎ見るように立て膝をついた低い位置からジョーさんに接している。
(こ、これはまるで戦国時代の武将の陣営の中のようじゃないか!この人の威厳さと言うか圧力ったら半端ない)
 心の中で、そう思いながら、私は、ジョー山中とレゲエバイブレイションズのメンバーに出来る限りの笑顔を作って、
「タイムテーブル通り、あと一時間で出演時間です。よろしくお願いします」
 と、頭を下げた。親ほど年齢が上であろうミュージシャン達に、
「ウィーッス」
 と返事をしてもらえたのをいい事に、私はその場を立ち去った。お世話係のYが部屋の隅の方で苦笑している。
 恒例の盛り上げ隊ココナッツのダンスが会場を盛り上げたところで、レゲエバイブレイションズのメンバーが舞台袖に控えた。
 ついに、SUNSET LIVEの舞台にジョー山中が立つ。
 ダンサーが踊り終わったところで、ステージの後方に畳み十畳分以上はあるだろう大きなフラッグが貼られた。フラッグは赤黄緑のラスタカラーで、真ん中にライオンの横顔が描かれている。
 その旗が張り巡らされたところで、長身のジョー山中がスキップするような軽やかさで舞台に上がって行った。
 会場は黄色い声というよりも、戦場の勇敢な武将を出迎えるような声で「おぉ〜!」と響めきが上がった。
 舞台袖から、ジョー山中を送り出した私も舞台監督というより会場の一観客、おにぎりの中の一粒の米になってしまったかのような気分で、ジョー山中を眺めた。
 舞台の袖から眺めていると、ジョー山中御一行様にずっと付きっきりでアテンドしているS市君が横にいた。私はS市君に、
「あのフラッグ、すごいね」
 と話しかけると、
「迎えに行ったらあのフラッグをジョーさんからアイロンかけとけって手渡されてね。俺がアイロンかけたんよ」
「まじ?ありがとう。ステージの後ろのSUNSET LIVEの文字が一文字も見えなくなるほどのデカさ、大変やったろう、お疲れさん」
「昼ごはんに、前原の定食屋に連れて行ったら、むちゃくちゃ喜んでたよ」
「よかった、あと少しよろしくね」
「オッケー」
 圧巻のジョー山中のステージは、サーフムービーに使われていた曲を次々に演奏していく。
 その様子がもっと見たくって、私は控え室の横に建てられている薪小屋の屋根に登った。
 場内はステージから後方までびっちりの人で、海のように波打っている。ジョー山中の奥さんのAさんも続けて登ってきて、
「うふふ、わたくし結構お転婆ですのよ」
 と、言いながら一緒に会場の様子を眺めた。
 私は側のAさんを見ながら、ジョーさんとアヤさんは、どこで出会ったんだろう?などといろいろ想像を巡らしながら、いつか二人の馴れ初めとか、聞けたらいいなと思った。
 
 ノリに乗ったステージの最後の曲は、静かなキーボードのイントロから始まる映画「人間の証明」の主題歌。会場中が彼の威力に飲み込まれた感じだった。
 あの映画、小学生の頃上映されてたよな、テレビでやってるのを見て、ちょっと怖いと思ったのだけ覚えてる。今度もう一度、ビデオ屋さんで借りてきて見てみよう。
 ただでさえ体格のいいジョー山中はステージに立つとそれ以上に大きく見えた。
 すごい人がSUNSET LIVEに来たもんだ、と感慨深く思った。

 大観衆の中、ジョー山中&レゲエバイブレイションズのステージが終わり、第6回SUNSET LIVEの幕は閉じた。
 興奮冷めやらぬオーディエンスは、なかなか退場しない。
 そりゃそうだよな。今までは海でプカプカ浮きながら聞いていたサーファー達もたくさん会場へ入場してくれていたようだった。
 やっと、会場内に隙間ができ設営していた音響設備を片付けられる状態になった。
 最終の臨時バスの時間が近づいている。ジョー山中御一行も門限が10時の志摩ホテルに送ってもらわないといけない。
 そんなことを考えていたら、店の周りに人だかりができている。
 大盛り上がりだったステージの後で、ジョー山中が、
「今からみんなで打ち上げをしよう!」
 と、大きな声で言っている。誰かが、
「Mさーん、電源コード巻いてないでちょっとこっちに来て」
 と、聞こえる。近づくとビールのジョッキを渡された。ジョー山中が、
「すばらしいイベントに参加できてよかった。みんなお疲れさん、乾杯」
 と、ビールジョッキを持ち上げた。
 周りの人も次々にジョッキを持ち上げて、「かんぱーい」と言いながらジョッキを鳴らしあって乾杯している。
 うわぁ、この後どうなるんだろう。このまま飲み続けるんだろうか?そんなことを思っていると、渋々、Hさんが、
「宿泊先の門限時間が迫っているので、そろそろホテルに向かってください」
 と、ジョー山中たちに言う。ジョー山中は、
「こんなに盛り上がって気持ちがいいのにもう宿に帰れだと?」
 と、ムッとしている。なんとか言い含めてS市君の車に乗ってもらった。

 そうだよな。都会からこんな海が見えて草木があふれる気持ち良いところに来て、
「演奏終わりました。はい宿にお帰りください」
 は、切なすぎる。どこかもう少し融通の効く宿泊先が見つかるといいんだけど。ジョーさんごめんなさい、の気持ちでいっぱいだった。
 ジョー山中御一行が去っていって、ある程度片付いた会場を後に家路についた。
 この土地で、この場所で限られた予算でやっていくのには、いろんな拘束がある。まだまだ考えなければならない事はたくさんある、と思った。
 第6回目のSUNSET LIVEが終わってしばらくしても、ジョー山中をSUNSET LIVEへ呼んだ反響はすごかった。みんな握手したとか一緒に写真撮ってもらったとか、わざわざSUNSETまで言いに来てくれる。

 多くの人を惹きつける人の力って相当な威力がある事を、ジョー山中を呼んで、ライブを間近に見て体感した。
 普段生活しているとなかなかそう言った人に巡り合わないから、こんなイベントを通して世の中にはあんな人もいるんだと知れることがありがたいと思った。
 夏の興奮を持ったまま季節は秋へと向かう。
 
 自然があふれる中に身を置いて、自分に素直に生きていくと言うことを、SUNSETやライブから学んだ。
 そうすることで私自身が気がついていなかった能力を発揮することができた気がする。
 これから自分がどうなっていくのか全く予測がつかない。
 きっとそれは私だけじゃなくて誰でもだろうけど。
 信じよう、目の前にある海や砂浜や木々の声を。
 たぶん、いやきっと間違った方向には導かれないはず。
 時々こんなことを一人でボーッと思ってしまう。
 きっとイタリアにいた頃よりちょっとだけ大人になったんだろう。

 SUNSET LIVEが終わって興奮が続いていた店内にも、少しずつ秋の訪れとともに静けさが戻ってきた。
 SUNSETの仕事にも慣れ、SUNSET LIVEの段取りにも少し余裕が出てきた私は、年があけた2月にハワイに行くことにした。少しずつ練習してきた波乗りを大きな波に乗ることは無理だろうけど少しは楽しめるかな、と言う思いもあってハワイのマウイ島に住む友人Pさんのところに行こうと考えた。

 年末に作る年賀状は今年はジョー山中のステージに翻っていたフラッグをそのままデザインして出した。感動をありがとうございました。と言う気持ちを込めて。

 その後、幾年かの時が経って、ジョーさんの奥さんのAさんが私が営むカフェにきてくれた。
 Aさんは、先祖代々続く由緒ある家業を受け継ぐために、決して仲違いしたわけではなく、ジョーさんと別れて福岡に戻ってきたらしい。
 私は催促したつもりはなかったけれど、Aさんはジョーさんのことを話してくれた。
 
 ジョーは、横浜でお父さんが戦争で服役中に、何かがあって生まれたの。
 その後、お父さんは戦地から帰ってきた。
 彼は七人兄弟の真ん中だったらしい。
 彼だけが兄弟の中で肌の色も骨格も違っていたけど、両親は分け隔てなく彼を育てた。
 ジョーは小学生の時に、結核になって入院してしまう。
 彼は治ったんだけど、看病していたお母さんが亡くなってしまう。
 その後、兄弟も多いからお父さんが新しい奥さんを迎える。
 その新しい奥さんが、
「どうしてもあの子だけは自分は育てられない」
 と言って、ジョーは孤児院に送られてしまう。
 私たちね、毎年クリスマスには、ジョーがサンタクロースになって、その孤児院に行ってたのよ。
(もう、ターガーマスクとあしたのジョーと人間の証明をそのまんま生きてきたような人生だ)

 ジョーはね、ボクシングをしていた若い頃に、銀座の喫茶店でロックな人に出会うの。
 それは内田裕也さんなんだけどね、裕也さんがジョーを見るなり、
「君、歌を歌ってみないか?」
 って誘われたらしいの。
 で、自分はボクサーをしてるからって言ったらしいんだけど、結局歌歌いになったのよね。
 裕也さんは人を見る目があるのよ。
 
 私とジョーは裕也さんがプロデュースした映画の撮影現場で出会ったの。
 ジョーは、すごく優しい人だった。
 「人間の証明」の映画のポスターの子供ね、あれはジョーの本当の子供なのよ。
 私たち、彼の前妻の子供たちといっしょに、世界中いろんなところを旅したのよ。

 そうそう、ジョーの家が火事になった時にね、彼ったら火の中を家に入っていって、自分のゴールドディスクだけをを取ってきて、
「これはお前が持っていてくれって」
 って、送ってきてね。それ、今でも私の手元にあるわ。

 と、私たちが知らない人間味溢れる今は亡きジョーさんのことを、やさしく懐かしげに話すAさんは、とても愛おしかった。

 

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酷暑の夏

朝の散歩で汗びっしょりにになる毎日です。 この夏は、LA、ハワイ、NYからの友人がやってきました。 みんな揃って、「ただいま〜」と言って店に入ってくるのが嬉しいです。 一緒にご飯食べたり、なんてないお話したり、涼しいところに行ったり。 共に過ごす時間が、その後のいい思い出になって...