時々無性に食べたくなる、ホワイトアスパラの缶詰。
きっと血が騒いでいるんだろうと思う。
私の母方の祖父は戦前に、北海道に契約農家を持ち
東京でホワイトアスパラガスの缶詰の工場を営んでいた。
滋賀県近江八幡の出身で、所謂、近江商人。
どんな行程でこの仕事を始めて成功したかはさっぱり知らないけど、
多くの使用人さんに働いていただいてたようで、
私が上京した折には、その時の恩だと言って
当時の従業員さんに大歓迎をしていただいたことがある。
この祖父のお嫁さんであるおばあちゃんは、
琵琶湖の真珠養殖業を営んでいた家の末子のお嬢さん。
その業績を称えられたおばあちゃんのお兄さんが
園遊会で、天皇陛下からお話しかけられた事を
まるで自分が行ったかのように、嬉しそうに話してくれる。
この缶詰工場の事業が成功していたとき
おばあちゃんのお仕事といえば、
しわしわになったお札にアイロンをかける作業だったらしく、
火鉢にかけて使う篭手式のものから、電気のものまで
そのアイロンを私に託していてくれている。
いつの日かそんな日が来る事を夢見ながら、
アイロンを傍らにいつも置いている。
といっても、笑えるくらいに欲のない私だが…
祖父が事業に成功し、
東京で飲食業を営んでいた時に使っていたグラスを滋賀の家を処分する時に
母が、お土産に持ってきてくれた。
2個、割れてしまったけど、お店でビアグラスとして使ってる。
大事な私の宝物。
母が3才の時に、戦争が始まり、母娘二人で滋賀県に疎開。
その後あっけなく祖父は外地でなくなってしまい、二人は東京に戻る事はなかった。
人の人生なんてどこでどうなるのかわからない。
でも、私の中におじいちゃんの血が流れている事はしっかり感じられ、
時々、ホワイトアスパラガスの缶詰が食べたくなる。
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