’97年
季節は巡り、また春が来る。’97年がやってきた。
私は、イタリアにいる頃に、
「いったい自分は何がしたいんだろう」
と思い悩んでいた。
その気持ちは、すっかり払拭されていた。
SUNSETで働くこと、年に一度夏に開催されるSUNSET LIVE が、私の生きがいになってきていた。
もっともっといいイベントをしてたくさんの人を喜ばせたい。やりたいことは山ほどある。いろんなアイディアや想いが毎日毎日溢れ出でて、楽しくてしょうがなかった。
蕾をつけた浜大根の花が砂浜に見え出した。春はもうすぐだ。玄界灘に面するSUNSETの前のサーフポイントは、波が上がる日が続いていた。
桜が散ろうとする頃、今年のSUNSET LIVEはどんな風にするか、という事で音響会社のTさんをHさんと訪ねた。例年より早い訪問だ。
そして、Tさんからある提案がされた。
「毎回、SUNSETの駐車場に設営するステージが一日限りでもったいない。イベントを二日にして、前日を地元のミュージシャンに解放して出演してもらうのはどうだろうか?」
と、いうことだった。
言われてみれば、一日でも二日でも設営されたステージは変わりない。
Hさんは大きく頷き、イベントは二日間開催されることになった。
音響会社の帰りがけにHさんが、
「今年のチラシ、どんな絵を描く?」
と聞かれ。私は、
「イメージがあるんです、明日ラフの絵を持ってきますね」
家に戻って、今年のSUNSET LIVEのラフ画を仕上げた。
その絵は、ハワイ土産にもらったハワイ諸島の可愛い地図からヒントを得たものだった。
福岡市の海岸線にある二見ヶ浦の夫婦岩を誇張して描いていて、その二見ヶ浦から四方にビーム光線が発信されているもの。
今年も和やかに夏を迎えられると思っていた矢先に、今までいた店長やバイトのAちゃんが店を辞めていった。
私とHさんは、この夏の店のスタッフを集めるのに走り回った。
やっとのことで大学生の男の子、そして天神でバーテンダーをしていたTRとM兄が見つかった。同級生の二人はそれまで実家暮らしだったのを二人でSUNSETから車で20分ほどの場所にあるアパートを一緒に借りて店に通うと言う。楽しそうだ。
梅雨が終わろうとする頃に大学生の女の子がふたり夏のハイシーズン限定でバイトに来だした。
これで SUNSETの夏が越せる。私とHさんは、ほっと胸を撫で下ろした。
もう夏は目の前だ。今年のSUNSET LIVEは初めての二日間の開催。
あの目まぐるしい一日を続けてもう一日しなければなのだ。私は気合を入れて、その日に向かう準備をしていった。
第五回目のSUNSET LIVEは8月の最後の土日に開催する。
一日目の土曜日を福岡で活躍しているバンドに開放する。
と、決定した途端、音響会社のTさんの友人のバンドや音響会社で働いていてデビューを控えているバンド。地元大学生が作ったスカバンドなど、あっという間に出演者は決まって行った。
二日目の日曜日の出演バンドは、第一回から三回目まで毎回出演していたカジャ&ジャミンやハードコアレゲエ。いつも会場を盛り上げてくれるダンサーのココナッツ。
そして、どこからSUNSET LIVEの事を聞きつけてきたのかレゲエ・ディスコ・ロッカーズという東京のグループがバンドのCDデビューの宣伝もかねて出演したいと問い合わせが来た。
なんとありがたい事だろう。東京まで、このイベントの話が伝わっていってるんだろうか。
この先このイベントを続けていくのに、こんな現象がどんどん起きればいいと思った。
いつもの年のように、チラシやポスターが出来上がると、協力してくれる店に配って回る。
持って行った先では、
「今年もこの季節がやってきたね」とか、
「お、今年は二日になったんだ。どれどれ、知り合いのバンドだよ。楽しみだなぁ」
なんて言いながら、すぐに店の壁にポスターを貼ってくれると、ものすごく嬉しい。
ポスターを持って行ったところで、ポイと店のテーブルに置きっぱなしだったり、バックヤードに持っていって、その後、貼ってくれてるんだろうか?と心配になったりすることもある。
私も店にポスターを持ってくる人がいたら、目の前で貼ってあげようと思った。
百軒ほどの協力店にチラシを配り終える頃に夏が本番となっていく。今年も暑い。
混み合う夏の店を切り盛りしながら、SUNSET LIVEの二日間の出演者のタイムテーブルを決めていく。
この頃、私は携帯電話なるものを持ち出した。これはすごく便利だ。
以前東京で働いている頃に、ショルダーバックのような物に受話器がついた携帯電話を会社から持たされたことがあった。(しもしも〜!のあれですよ)
これはそれとは雲泥の差のテレビのリモコンくらいの小さな物で、どこででも繋がる。これで、どこにいてもミュージシャンからの連絡も取れる。
しかし、世の中にこの携帯電話を持っている人は、ほんの僅かだった。
SUNSET LIVE に出演するミュージシャンは十数件にもなった。
SUNSETのバックヤードから一件一件それぞれのミュージシャンに、
「出演時間はこのタイムテーブルの通りです。出演の二時間前には会場に到着するようにお願いします」
と、書き添えてファックスを送る。なかなか時間と手間のかかる作業だ。それに間違いがあってはならない。
イベントの日の朝から夜までが、スムーズに終わるようにするための下準備をコツコツしなくてはならない。「このイベントを続けていきましょう」と、あの日、Hさんに豪語した日からメモしまくっているノート。そこに下準備の一つ一つが書き込まれている。
以前困った事や忘れていた事を去年、一昨年のページをめくって、やり忘れがないか確認していく。
後一週間でSUNSET LIVEという日にニュースから台風情報が流れた。サーファーでいつも気象情報をチェックしているHさんは、
「たぶんイベントの前日には過ぎてしまうと思うけどね」
と、比較的安心している。音響会社のTさんに連絡してもHさんと同じ考えだった。
私もテレビの予報図を見てギリギリ大丈夫かな、と思う。
ただ出演者や関係者からの電話が店の固定電話や私の携帯にひっきりなしにかかってきてその対応の方が大変だった。
万が一、台風がイベントの当日に直撃したら大変なことになることを考えるとゾッとした。
私が各方面からの電話対応に明け暮れる中、SUNSETのスタッフは店の外に置いている植木鉢を店内に入れたりデッキの椅子やテーブルを一纏めにしたりして養生している。
イベントを目前にしている事もあり、物が飛んだりして事故があったりして、店や敷地内の破損などがないように台風に向けての準備は入念だ。
過ぎていく台風を見守る間は、ただ固唾を飲んで過ぎていくのを待つしか無い。
台風は予報通りにやってきて強風と雨をもたらしたが、しっかりと養生しておいたSUNSETとその周辺にはこれといった被害は無かった。
台風が過ぎたら、また強い日差しが舞い戻ってきた。二三日滞っていた外作業をSUNSETのスタッフ全員で開始だ。
バタバタと作業を進めていたらあっという間に時間が過ぎていく。
今年も明日が第五回SUNSET LIVEの日がやってきた。きっと今年も大丈夫。台風も去っていったし。
前日にはステージの設営がいつものように行われる。Tさん率いる音響会社の人達が黙々と働いてさくっとステージを作ってしまう。私は作業中のTさんを見つけるとお守りに出会えたような気分になり、
「Tさん、今年もよろしくお願いします」
と、元気よく挨拶をする。Tさんは相変わらずのニコニコ熊さんのような風貌で、
「お、M君、相変わらず頑張ってるね。今年は二日間やけんね、体力勝負よ。台風も過ぎていったし楽しもうね」
と言いながら、横から肩を組んでポンポンと叩いてくれた。
この肩ポンポンでもう充分充電された。後は突っ走るだけだ、そう思った。
設営が終わって、例年のように晴れた朝がやってきた。私は簡単な朝ごはんを終えると、車に駆け込みSUNSETへ向かった。
SUNSETへ向かう海岸線の海は朝の光を浴びてキラキラしている。「今年も上手くいきますように」と、心の中で祈る。
カーステレオからは新しいミュージシャン、レゲエ・ディスコ・ロッカーズのナンバーが軽快にかかっている。
SUNSET LIVEの会場となった店の敷地内には、ポツンポツンとスタッフが揃い出している。店内でドリンクやフードを売る係、入り口でチケットをもぎる係、それぞれのスタッフと確認をしあって、私はステージの横へ向かった。
第三回目のSUNSET LIVEの時からステージの横で私のサポートをしてくれている体格のいいサーファーのTsとKtは今となっては毎度お馴染みの仲だ。二人がいてくれるだけで鬼に金棒の気分になる。
TsとKtに、タイムテーブルが行き渡っていることを確認し、
「ミュージシャンが二時間前に会場に到着したらまず私に知らせること。ステージに上がる三十分前には、ステージの袖で待機してもらえるようにすること」
と、念を押した。
TsとKtは、「任せとけって」と、サーフィンで鍛えた体の上に着た、パンパンのTシャツから出ている小麦色に焼けた腕にガッツポーズをとりながら笑顔で答えてくれる。
「よし任せた、じゃよろしくね」
と、言うと
「ウィ〜っス」
と、言いながら出演者を迎えに駐車場へ向かって行った。
二日間になったSUNSET LIVEは今まで14時からの開場だったのを12時開場に変更した。これで、より沢山のミュージシャンが演奏することができる。
12時になると、ゲートから観客が入ってくる。
13時からTさんの友人達のおじさんバンドの演奏が始まる。おじさんバンドのメンバーはゆったりとした感じで駐車場に着くとすぐにステージの袖に来てくれた。
時間通りに最初のバンドの演奏が始まり、ミュージシャンとの追っかけっこのような一日が始まる。
土曜日のバンドは、それぞれ演奏時間は30分。演奏が終わると三十分内で片付けて次のバンドの準備を終えてスタンバイしてもらう。音響のスタッフは猛烈な勢いでその作業をしている。
一組目、二組目とバンドの演奏が終わり、16時の四番目のゴスペルのミュージシャンの演奏まで後十分となった。
しかしまだ出演者がステージの近くに見当たらない。私は、携帯電話でTsに電話した。
「Ts、ゴスペルの人たち、まだこっちに来てないんやけど」
と、話すと、
「SUNSETの横の霊園でみんなでリハーサルしてたんよ。今急いでそっちに向かわせてる」
「了解、待ってるね」
開演時間のギリギリにTsがゴスペルミュージシャンを伴ってステージ横にやってきた。
すぐに、MCがゴスペルミュージシャンをステージに呼んで演奏が始まった。楽器がないグループでよかった。
「間に合った、ありがとうTs」
私がそう言うと、Tsが、
「これやけん素人さんは困るよね」
と言う。横でKtも、
「プロはやっぱり、こっち側のことも考えて安心感くれるもんね」
と合いの手を入れる。
「そうね、いつもより大きな舞台に上がれるので少し興奮しているのかもしれないね」
と、私は答えた。それよりもこんなことが無いようように、今一度気持ちをこっちがしっかりしてないといけない。
「Ts、Kt、最後まで気合入れて行こうね」
「あいよ、Mねーさん。じゃ、俺たち次のミュージシャン迎えに行ってくるわ」
そう言って走って行った。
13時から一時間一バンドの八組。あと四組だ。ふと気になって18時からのギター一本で出演するSK君に電話を入れてみた。電話はすぐかかった。
「こんにちは、SUNSETのMです。今日はよろしくお願いします。18時からの出演大丈夫ですよね?」
そう聞くと、
「俺19時からでしょ?まだ天神にいますよ」
と言う。なんですと〜!炎天下の中、背中に氷の塊がさーっと入ったような感覚になる。
「先日、修正したタイムテーブルをファックスで送ったんですけど確認してもらえてなかったですかね?」
「すみません、それ見てないです」
「申し訳ない、本日のSK君の出演は18時からとなっています。誠に申し訳ありませんが今すぐこっちに向かっていただけますか?」
「わかりました。すぐ向かいます」
そう聞くと、電話は切れた。
さぁ、どうするよ私。ステージの横に貼っておいたタイムテーブルを睨みつけて考える。
17時からのバンドを連れてステージ横にやってきたTsとKtを呼んだ。
「Ts、Kt、18時からのSK君、まだ天神にいるみたいなんだよね。修正したタイムテーブルのファックスを確認してもらえてなかったみたいでさ。私の連絡ミス」
「え〜っ、今から天神じゃ、ギリギリか、間に合わないかもじゃない?」
と、Ktが周りに聞こえない程度に叫ぶように言う。
私はTsとKtがいる前で、19時から出演予定のバンド、エレキハチマキのメンバーでもある音響さんに事の次第を説明した。
音響さんは、現場を一緒にやっていることもあり、快く演奏時間の変更を許してくれた。
音響さんと私のやりとりを見ていたTsとKtに、
「ちょっとここからバンドの演奏の間の入れ替えの時間のDJを五分程長めにする。順番が入れ替わってるから楽器等の搬入のトラブルがないようにする為にね。それで、間に合うかどうかの危ない橋を渡るより十九時からのバンド、エレキハチマキとSK君を入れ替えます。OK?」
「了解!」
TsとKtは飲み込みが早い。すぐに私の解決策をわかってくれた。
17時のバンドが終わり、変更した音響さんのバンド、エレキハチマキの演奏の途中にSK君がやってきた。入れ替えておいてよかった。
まるで、こんなスケジュールでしたよ。と言うかのようにSK君の演奏は19時過ぎから始まった。
これで無事に終わる。と、心を撫で下ろしていたところでHさんがやってきた。
「順番入れ替わった?」
と、聞かれ、これまでの経緯を説明した。ふんふんと頷きながら、
「最後のバンドの途中で、最終の臨時バスが出発してしまうんよね。それに乗り遅れるともうバスがなくなるから、次のバンドの演奏前にそのことを伝えて」
「わかりました」
そっか、擦ったもんだがあってバンドの入れ替え時間のDJタイムを少し伸ばしたために思っていた終了時間より延びてしまったんだ。お客さん悩ましいだろうな。でも、これを逃すともう公共の交通機関がない。
Hさんからの伝達事項をMCにお願いして、観客に説明してもらった。ブーイングの声が観客から聞こえた気もしたが、説明するものはしておかねばなるまい。
最後のバンドの演奏が始まり、その途中で少しお客が減った気もした。
どうにか地元ミュージシャンに開放したSUNSET LIVEの一日目が終わった。疲れた。
やっとトリのバンドが演奏を終えたところで、TsとKtと顔を合わせた。
「今日はお疲れ様でした。私の確認不足で不安な気分にさせてごめんね」
私はそう言って二人に頭を下げると、
「経験やね、次からは今一度の確認やね」
とKtが言う。
「そうやね、念には念を押すよ」
と、私は反省して応えた。
「でもさぁ、向こうだってすぐ近くにファックスあったはずやろうけん、見てないってのもねぇ」
と、Ktが別の角度から意見してきた。私は、
「Kt、それ言っちゃだめ。人のせいにしだすとキリが無いやん」
「ま、そりゃそうだ」
と、Kt。
「まぁ、今日のところは無事に終わったんやけんいいんやない。気持ち入れ替えて、明日に備えよう」
と、Ts。私は年下の二人に励まされてその場を解散した。帰り間際にHさんに出会い、
「Hさん、今日はすみませんでした」
と、言うと、
「過ぎたことは過ぎたこと、お疲れさん。明日もまだあるよ」
と、言われた。そうだ明日もまだある。
「そうですね、お疲れ様でした、また明日」
と、言って駐車場へ向かった。
あの一瞬、本当にビビった。すぐに入れ替えると言う考えが浮かんで、音響さんバンドのエレキハチマキが快く譲ってくれてよかった。今一度気を引き締めよう。
明日出演するミュージシャンを、今宿駅まで車で迎えに行くアテンドのスタッフ君を見つけて声をかけた。
「明日のお迎えは、このタイムテーブル通り大丈夫だよね?」
と、尋ねると、アテンドのスタッフ君は、
「大丈夫です。全て連絡がとってあります」
と、答えてくれた。電車が止まらない限り大丈夫だろう。
その日は、家に着くと今日の疲れと明日への緊張感でシャワーを浴びたらボトンとベッドに倒れ込んだ。
翌日は、いつもより早く目が覚めた。今日は昨日のようなことが起こりませんように。祈るような気持ちでアパートを出た。
二日目のSUNSET LIVEは、いつもの年のような流れで滞りなく終わった。
「ゴミを捨てるのはかっこ悪い」と、言うことがずいぶん浸透したようで、ライブが終わった後の会場は昨年から比べると驚くほど落ちているゴミが減っていた。
SUNSETの店内でドリンクやフードを担当していたスタッフのM兄は、今までで一番の売り上げだったと感激している。
ゲートを担当したスタッフのTRは、入場者が千二百人くらいだったと報告してくれた。
売り上げも入場者数も、毎年どんどん膨れ上がっている。よかった。
門限時間が10時の宿泊先に、遅れないように出演者を送りだす。
今年のSUNSET LIVEが終わった。Tさんと電気のコードを纏めながら、私は星空を見上げた。
初めての二日間の公演で私はクタクタだった。いつものようにうまく行くに決まってると思い込んでた。スタッフのみんなに囲まれて、ご機嫌なHさんが店の中に小さく見える。
会場の電気コードを全部回収して、後は明日ステージを解体するのみとなったところでTさんとクルーの皆さんを見送った。
完璧に終われなかった自分が悔しい。何がいけなかったんだろう。どうして、もう一度SK君に連絡しなかったんだろう。人のせいにするのは簡単だけど、私はそんな性分じゃない。すごくモヤモヤしていた。ライブの熱気が残った会場でスッキリ終わった、と思えない。今まで感じていた達成感がないことに、もどかしさを感じた。
SUNSETの店内でガヤガヤしているみんなに溶け込む気がしなかった。
しばらくの間、ステージの横の丘に登って空を見上げていた。
無事に終わったからいいとするか。もう、今日は家に帰りたい。
今回はイベントの前に台風も来て、ライブの進行にもヘマをした。
なんか調子よく無かったな、私。でももう第五回SUNSET LIVEは終わったんだ。
家に帰る途中、ハンドルを握りながら思った。
窓の外には月に照らされた波が白い線を描いている。まるで今日は何も無かったかのように。
翌日は、いつものように午前中に会場のゴミのチェックへ。
今までで一番ゴミの散乱が少なかった。なんだかホッとする。
ゴミ拾いの後の綺麗になった昨日までの会場を、Hさんは満足げに新しく店の横に建てた二階建てのデッキの上から眺めている。
私はそのデッキを下から見上げて、こんなふうにホッとできるイベントの翌日を毎回Hさんに味あわせたいと思った。
SUNSET LIVEの後は二日間店はお休みする。みんなそれぞれ疲れた体を癒しているんだろう。
イベントの興奮が尾を引いたままSUNSETの営業が始まった。一日目に参加した地元ミュージシャンの友達や関係者にもこの店のことを知ってもらえたんだろう。店の客足が確実に増えたことでそれを感じる。
何処かから秋の虫の声が聞こえ始めた。けれどSUNSETの客足は相変わらず夏の日のようだった。
SUNSET LIVEが終わって一週間もしないある日、Hさん宛の一通の封書がSUNSETへ届いた。
Hさんはその手紙を読むと、うんともすんともない感じでカウンターに置いた。
私は、「読んでいいですか?」と聞いてからその手紙を読んだ。
手紙の内容は、
「SUNSET LIVE一日目の最後のミュージシャンの途中で最終のバスが発車してしまうなんてなんて言う事だ。せっかく楽しみにしていたのに興醒めもいいところだ」
と言うような事柄が、長々と書かれていた。
私は、胸が大きな針で刺されたかのようにチクッとした。どうしたらいいんだろう。Hさんは、
「俺、海行ってきます」
と、言って出かけて行ってしまった。
その日の私のシフト時間は終わり、私は店を後にした。なんか落ちるよな、あんな手紙。Hさんはどう思ったんだろう。
家に戻っても、頭に手紙の内容が旋回してテレビをつけていても全然楽しめない。
寝付きの悪い夜を過ごして、翌朝仕事に向かった。昨日の手紙のことについてHさんから何か指示があれば動こう。
思い悩んで店に行ったものの、いつも通りの明るい職場だった。
Hさんは、「そんな手紙きましたっけ?」といったふうで口にも出さない。もう少し様子を見ていよう。
二、三日経って、ふと気が付いた。
これから先、イベントが大きくなるにつれて楽しんでくれる人も年々増すだろう。
もっとこうしたほうがいいと思っている人もたくさんいるはずだし、ああいったクレームも出てくるだろう。
その一つ一つにこちら側の反省は必要だけれど、言ってきた相手一件一件に対処していたらそれだけで大変なことになる。きっとそのことをHさんは教えてくれてるんだ、と思った。
イベントの当日に私が取った決断が、別のところに影響を及ぼした。これからは、万が一のことも踏まえて少し余裕を持ったタイムテーブルを考えるべきなんだと思った。
大好きなSUNSET LIVEは毎年私に体験を通していろんなことを教えてくれる。
街中の店に預けていたチケットを回収をする時に、一日目のバスの最終時間のことを何軒かの店で指摘された。私は丁寧に謝り、自分の経験不足だったと真摯に謝った。
チケット回収の時に初めて聞かされたら、顔面蒼白になって受け合う言葉がなかったかもしれない。あの手紙で少々打ちのめされていてよかったんだ。
間も無くやってくる冬に向かって、今年はクリスマスリースを百個作ることにした。
SUNSET周辺の野山からツタを採ってきて、それを丸く編んでそこに木の実や布で素朴なデコレーションをする。お客さんが少ない昼下がりにスタッフが交代でツタを取りに行った。
12月に入ったら、出来上がった素朴なリースをSUNSET LIVEを応援してくれている店に配って回る。糸島の山から作ったリースです。来年もよろしくお願いしますの気持ちを込めて。
来年はどんな年になるんだろう。どんなSUNSET LIVEができるんだろう。いつも頭の中の半分くらいはそのことがある。SUNSET LIVEはもうすっかり私の生きがいになっていた。
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