木曜日, 10月 06, 2011

どうでもいいこと


昨日の雨に洗われて、窓を抜ける風にも透明感を感じます。
かわいらしい桔梗が女郎花と一緒に売ってあったので
白いジンジャーの花と取り替えて
お店の入り口から見えるところに生けました。
これではちょっと寂しいなと
赤くなったカラスウリが庭にたくさんなっていたのを思い出し
横に後から添えました。

こんなどうでもいいことをここに書いてみたり、
あぁ、見て今日の雲はまるでウロコのようねとか、
風の感じが変わったねとか、
今日のごはんはちょっと固かったねとか、
あさって着ていく服なんにしようか悩んでるのとか、
どうでもいいことをお話しするのは
実はどうでもいいことではなくって
とっても大切なことなんだと思います。
日々のちょこっとした事柄を
口に出してお話ししていないと、
大切なことをお話しする時にも、きっとできなくなってしまう気がします。
日々のちょこっとの幸せを噛みしめたり
嬉しいなって言ってなかったら
大きなしあわせも楽しめないし、やって来はしないような気がします。

自分のまわりの人に小さなことでもジャンジャンお話しするようにしたいですね。
もし、”あら、今日はお話し相手がいないわ”
って、時にはうちにお越し下さい。
お料理の片手間になるかもしれませんが
話し相手になります。



ここ最近のお気に入りの本より〜

ー自分の心をしっかりと管理し
 人格の向上に努めている人たちは
 ”環境は思いから生まれるものである”
 ということを熟知しています。ー

 人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野
放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが
生えてきます。
 もし、あなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこには
やがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
 すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、
それを育み続けます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいの
なら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そ
のあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりま
せん。
 もし、あなたがその作業をつづけたならば、やがて必ず『自分は自分の心
の園芸主任であり、自分の人生の総責任者である』という事実に気づくこと
になります。自分の人格、環境および運命の形成に、自分の思いがどのよう
な影響を与えているのかを、日を追うごとに、より明確に理解していくこと
になるでしょう。
 思いと人格はひとつです。そして、人格は環境を通じて、それ自身を表現
しています。よって、私たちの環境は、私たちの内側の状態とつねに調和し
ています。


人の心が”庭”として表現してあるのがたまりません。
生きている間じゅう、作業は続けなくっちゃなんですよね。
充実した人生を生きるって作業を。
ささやかな喜びを、たくさんの人に伝え、
ささやかな喜びを美しい種として、日々育てていく。
何事にも共通する考えのような気がします。

はて、
どうでもいいようなことを、
思いつくままにつらつら書いてしまいました。
こういうのって秋のせいかなぁ

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